想い出の中の誰か


 午後の日差しが熱を帯びて、陽気に降りそそぐ。その日はいつもと変わらない土曜日のはずだった。
 ギロロは愛用のレーザーライフルを磨き、その隣には白猫がまどろんでいる。

 静けさに占領された黄色の星が描かれたドアが開いた。部屋の主であるケロロは真剣に趣味にいそしんでいた。
「寝てたかと思った。あんまり静かだから」
「これは夏美殿。珍しいでありますな」
 ケロロは一瞬身構えたが、夏美の表情に危険な感情はない。ドアも静かに開けられた。

「タママやモアちゃんは、いないの?」
 夏美の様子が奇妙だと思ったケロロだが、彼女が立腹していないとわかると、目の前のプラモデル製作に視線を戻した。
「あー、タママは桃華殿のお供で、モア殿は…、あーよく知らないであります」
「ふ、ふーん」
 夏美は部屋を見渡しながら、ケロロの目の前に腰を下ろした。ケロロが広げたプラスチックの破片を興味もなくしばらく眺めた。
「あー!触っちゃダメ!アータ、それひとつでもなくなると困るんだよ!素人さんが勝手に触ってもらっちゃ、かなわんですよ!わかってる?」
「あ、ごめん。……」
 夏美は部品に触れただけの手を慌てて引っ込めた。
「……夏美殿、気持ち悪いであります」ケロロはぼそっと独りごちた。
「何か言った?」
「いえいえ!というより言いたいことがあるのは我輩より、夏美殿でありましょう?」
 夏美は俯いて黙り込んでしまった。いよいよ態度がおかしいと、ケロロは作業を休めた。
「我輩に何の用でありますか?…黙ってないで答えるであります!」
 煮え切らない夏美に切れかかるケロロ。まるで立場が逆だ。

「ったく…。あたしだって、アンタなんかに…」
「あ?それが聞きたいことある人の態度でありますか?」
 優勢を理解して、ケロロは悪徳が満ちた顔を夏美に向ける。夏美は鬱憤を積み始めながらも、今日は耐える。

「赤だるまのことでありますな」
「どっどうして!?」夏美は真っ赤に染まった両頬を隠すように手をあてた。
「なんだかんだで我輩が奴と一番付き合いが長いでありますよ。ゲロゲロリ。まあ、タママやクルルは論外。ドロロに聞けばトラウマになっちゃうし。まあ、我輩の人徳でありますか」
「…やっぱ早まったかな」眉をひそめてケロロを見ると、すっかりどこかの人生相談の押し付けがましい司会者のような扮装をしている。
「それで、奥さん。浮気?姑と上手くいかないの?」
「奥さん…って。コントやってんじゃないのよ」夏美の拳が震えてきて、ケロロは膝を正して座った。夏美の顔が少し赤くなったのをからかいたかったが、出来ずじまいだ。


「…アンタは、そのー…好きな子とかいないの?」
「わ、我輩?…まさか、夏美殿、ギロロをふって我輩を好きになっ…」
 ケロロは派手に夏美に殴られた。
「じょ、冗談でありますよ。会話の切り出し、所謂ジャブでありますな。肝心のストレートは温存でありますか」
 ケロロは鼻を擦りながらも、探りを含ませた視線を夏美に送る。
「夏美殿は赤だるまと同じで分かり易いでありますな」
 夏美ははっとしてケロロを見る。ケロロは深く頷いた。
「扱いにくいところも、本音を隠すところも、からかい甲斐があるところもそっくりでありますよ。モア殿ならきっとこう言うでありましょう。『ってゆーか、おすぎとピーコ?』」
「…それ諺じゃないわよ」
 夏美はケロロが予想した反応をせず、納得したようにため息を吐いた。

 その問題における夏美の真剣さを悟り、さすがのケロロも溜め息の後には口調を変えた。
「我輩が知る限り、…伍長にはそのような女性はいなかったでありますよ。夏美殿の心配は不要でありますよ」
「心配とかじゃないんだけど!…でも、さ。逆に不自然じゃないそんなの。アンタたちはこう見えても大人なんでしょ?一度もないって変でしょ」
 夏美は少なくともギロロたちよりも若い。その短い人生で夏美は何度か恋をした。幼稚な恋でもあったが、そのときなりに真剣な想いだった。ギロロにもそんな想い出の一つや二つがあっても不思議ではない。いや、ないほうが不思議とも言える。

「変でありますか。…でも、どうしてでありますか?夏美殿がそんな気になるって、よほどなんかあったか、それともヤツに惚れてるかどちらかですな」
「やっやめてよ!」
 夏美のまわした腕が、ケロロの頬を掠め冷や汗をかく。

「じゃ、じゃあ、ボケガエルは、ふるさとが恋しくなるときがあったりする?」
「そりゃないとは言えないでありますよ。仲間もいるしガンプラもあるから、ここは我輩にとって最適でありますが、ケロン星には会いたい人がいるですよ。かといってホームシックとは程遠いですな。少なくとも小隊の中には、そんなやわなヤツは一人もいないでありますよ」
「ふーん」
 夏美は自分に置き換えると、ケロロたちの心情が理解できない。家族、殊に母に関しては、多忙な職種で毎日顔を合わせているわけではないが、離れて生きることは想像できない。精神的に自立しているケロロに比べると、自分が幼稚に見える。
 立てた膝に肘を乗せ、さらにその上に顎を乗せて、夏美は目を宙に泳がせる。
「アンタはわかりやすいわよね。賑やかだし、楽しそう。タママもお菓子があるし、ドロロは地球の自然が好きだからいいわよ。あのクルルはどこ行ってもマイペースそうね。ギロロは、……戦士なのに、毎日退屈なんじゃないのかな」
「つまり?」
「帰りたいんじゃないかな」
 夏美は定まらない視線の中で、思い出していた。彼女は毎晩眠りに着く前に、カーテンの隙間からギロロのテントを見下ろす。寒い風が吹き止まない夜も、蒸せる熱さの夜も、彼のテントは彼女の家の庭にある。彼女を守るように。この平和の日常の中で。戦う相手のいない庭に。
 ギロロは一体何を思っているのか、わからなくなってくる。恋の気持ちを通い合わせて、2ケ月になる。幸せに浮かれていただけの夏美は、徐々に心の底から湧き出る不安に無視を決め込んでいた。
 だが、昨日の星空には不安の色しか見えなかった。とても美しかった夜空の星々。ギロロはテントの外でそれを見上げていた。夏美はカーテンの隙間からそんな彼を見ていた。
 ギロロは、まるでケロン星を探すように目を凝らせていた。気が遠くなるほどの距離がある生まれ故郷の星を、彼はどんな思いで見上げていたのか。正体が見えなかった自分の中の不安を、夏美は実感した。
 見上げるケロン星の中に、ギロロは何を考えているのだろうか。そして、誰を思っているのだろうか。



「どうしてそう思う?」
 ケロロと夏美の背中から、低い声がかかった。ギロロだった。
 やましいことなどないのに、見られてはいけなかったシーンのように、夏美とケロロは焦った。それぞれ早口になって捲くし立てる。余計に怪しく感じられるものだ。
「やめろ。弁解しなきゃいけない話だったのか?」
「ううん!」「いやー、そんなんじゃないんですよ!夏美殿の恋の相談っていうかー」
 ギロロは目を血走らせ、ケロロに銃口を向ける。
「なんでありますか!我輩、何もしてないでありますよ!決して夏美殿の弱みを探り出し、ついでにギロロの恥ずかしい話を聞きだして、服従させようなどとは考えてな…」
 ケロロの頬は、ギロロが圧しつけた銃で歪んだ。ケロロの額に冷や汗が流れる。
「失せろ」
「はーい!じゃ、お邪魔虫はこの辺で。…ってここ、我輩の部屋なのに?」
 ギロロの眼光は変わらない。ケロロは諦めて、しぶしぶ地下基地への扉を開けた。一回だけケロロは夏美に振り返り、困った笑顔を向けた。


「上にあがろう。ここは監視の目があるかもしれん」
 ケロロが去ってギロロは開口一番、ぶっきらぼうに言った。
「あ、そうね」
 夏美はギロロの顔を見ることはなかった。不自然な笑いで、ギロロに同意した。

 二人はテントの側に移った。太陽の下では、不安な気持ちも、不自然な関係も消えていくような気がした。そして当然ながら、ケロン星も見えない。
 夏美はギロロの隣のブロックに腰掛け、先に呟いた。
「ごめんね」
「なっ何がだ?」
 さっきのケロロに対する高圧的な態度は、夏美の前にはなくなる。が、今日のギロロは不機嫌を隠し切れない。

「よりによってボケガエルに聞いちゃって…」
「おまえらしくないな。知りたいことがあるなら、なぜ俺に聞かない?」
「ごめんなさい」
 夏美は平謝りするしかない。言い訳はできない。ギロロは弁解は嫌う。

「何が知りたい?」
 鋭いギロロの詰問に、夏美は萎縮した。彼女らしい溌剌さは微塵もなかった。
「…ん…」
 両手を合わせて口先にあてた夏美。迷っている横顔をギロロはちらりと見た。彼女に気付かれないように、ギロロは真っ赤になって俯いた。
 夏美が彼女らしさを失わせたのは、ギロロを想う気持ちが大きいからだ。ギロロはそれに気付き、胸を熱くした。

「今は会えなくて、会いたい人いる?…ケロン星にとか」
「特にはいない。任務を理解している家族だからな」
「家族って…。お兄さんのこと?…他に、…いない、の?」
 歯切れが悪い夏美の物言いに、さすがのギロロも気付く。言葉の裏に含んだ意味を。

「俺はここにいる。身体も心も。ひとかけらもここ以外にはない」
「…ギロロ?」
 遠回しに言ったつもりではないギロロだが、夏美は彼の言葉を理解できない。

「おっ俺は、俺はっ…、」
 ギロロ特有の焦った様子に、夏美は軽く噴出して微笑んだ。
「わかったよ。…ありがとう、ギロロ」
 全ては伝わっていないと、ギロロは歯軋りした。夏美がケロロにまで聞きに行ったこと、彼女の不安は大きかったはずだ。言葉がなくても伝わるのは嬉しいが、それは彼の気持ちの何分の1だろう。その分母は限りなく大きいと、ギロロは思った。

「テントに入れ」
「え?ええ?」
 呆気にとられる夏美を、ギロロは強引にテントに押し込んだ。
「外はいつ奴らが見ているかもしれん。ここは安心だ」
「う、うん」
 テントの中は快適に保たれているらしく、狭さだけが気になる。夏美は隅の方に膝を崩して座った。ギロロは自分の行動に戸惑いを感じて、高さの差がない夏美の視線を受けないように、横向きに座った。

「あたしらしくなかったわよね。ホーントばかみたい…」
「夏美…」
 ギロロは自嘲する夏美と、ゆっくり向き合った。
「でもね、ばかになっちゃうみたい。自分でも意外だわ。…ボケガエルが言ったこと当たってるわ」
「ケロロが?」
「うん、…あたしがね…」
 ギロロはすくっと立って、夏美に近づいた。やがて二人の距離が縮まり、互いの手を取り合った。
「ギロロを、とても…」
 夏美の言葉が、ギロロの瞼と同じに重くなって消えていく。夏美も瞳を伏せ、ゼロになる距離を待つ。
「俺の心の中には、おまえしかいない。想い出に変わっていく誰かがいるのなら、それはおまえだけだ」
 柔らかに二人が重なるまで、もう少し。

「とても、…愛している」

 二人だけのテントに、太陽の強い光が降りそそぐ。時が過ぎて夜になって、やがて星空になっても、もう夏美は不安は感じないだろう。



fin

2006/04/20




無駄に長くてごめんなさい。
この後のエピは裏行きですな