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卒業おめでとう



「ねえ、キミ」
 思わぬ声が俺を呼び止めた。鼻にかかる中性的な声。久しぶりに聞くそれは、やはり俺にとっては不愉快に違いない。今は俺の恋人になった夏美が、昔憧れていた男だった。

「何か用か?」
「そんな怖い顔しないでよ。夏美ちゃんいる?」
 ただでさえ気に食わない男。その男の口から、自分の女の名前が無造作に吐き出されて、俺は静かに怒っていた。
 だが、極力声は抑える。低音が僅かに震えた。
「夏美に何の用だ」
 疑問系にならない俺の言い分。これは威嚇に近い。

「キミには関係ないよ。夏美ちゃんに会いたいんだけど…おっと、ここは客にそんなもてなしをするのかい?」
 さっきまで磨いていたライフルの銃口を、この男に向けていた。我ながら、感情的になった行動は危険すぎる。

 俺と夏美が想いを確認しあったのは、随分前になる。それから季節は二回過ぎていた。隠密を保つ約束はないが、表立って触れ回る性格ではない俺たちのことは、奇跡的に誰にも知られてはいない。
 夏美に対する俺の反応は皮肉なことに以前と変わらなく、また彼女も同じだった。それは隠すためではなく、自然な行動だったが為か、誰も気付かなかった。

 おまえが今いる日向家の庭で、昨日の夜俺と夏美は星空を見上げて、くだらないことを語り合った。おまえは知るまい。時間を惜しんでつい夜更かししてしまう俺たちを。
 優越感は自分を鼓舞するための武器になるが、この男に通用しない。
 二人の関係が衆人の事実ではないことは、この男を目の前にして俺の最後の砦を崩していく。俺は弱気になっている。

「伍長さん、相変わらずボディガードやってんだ?純情だね」
 見下したように俺に突っかかってくる。挑発と受け取っていいのか?
「ふん、なんとでもいえ」
「キミには参ったな」
 あろうことか、男は笑顔を見せた。少し寂しそうに見える。俺を嘲笑するものではない。


「あれ?サブロー先輩!?」
 そこに帰宅した夏美。心なしか頬が緩んで見えるのは、俺の僻み根性か?
「ただいま。ギロロ」
 俺への挨拶は変わらなかった。いつもの夏美の笑顔だ。この男に向ける表情と、俺へのそれはどちらが輝いているか、俺はわからなかった。

「どうぞ上がってください」
「いや、すぐ帰るから。今日は預かり物があって、寄っただけなんだ」
「え?あたしにですか…?」

 二人の会話は俺の頭上だ。俺の存在を無視しているように、会話は嫌な方向へ流れる。照準の合わせてない銃を持つ拳が、汗を握る。
 夏美が顔の角度を変えないで、目線だけ俺に向けた。一瞬だったが、それは俺の不安を煽るものではない。

「623から、メッセージ!夏美ちゃん、手紙を送ってくれたんだろ?その返事みたいだよ」
「本当ですか!わあ、ありがとうございます!」
 夏美は男から四角い封筒らしきものを受け取った。またくだらぬ色紙なんだろうか。喜んで受け取る夏美に苛ついたが、男の用事はこれで済みそうだ。

 男は日向家の門扉まで歩いてから、もう一度後ろの夏美に振り返った。
「夏美ちゃん、しばらく会わないうちになんだか綺麗になったね」
「ええっ!?そんなぁ!」
 夏美はおおいに焦り、嬉しそうに顔をほころばせた。俺は一気に憤慨した。夏美を簡単に操作できる男の言葉。俺には真似が出来ないそれを、かつての彼女の想い人は事も無げに言う。

「…きっ貴様っ…!」
「怖っ。ボディガードが睨んでるよ。じゃね、夏美ちゃん」
「ギロロ!あ、…先輩ありがとうございます!」
 俺を嗜めて、夏美は男の背中に手を振る。男は去っていた。俺は不機嫌の根源がなくなったことに心から安堵したが、気持ちは晴れない。奴の背中を見つめたままの夏美を置いて、一人でテント脇に戻る。
 やがて、夏美は俺の隣に座って何らかのフォローをするはずだ。彼女が俺に何を話すか、俺は怯えている。徐々に不安は増し、あらぬことまで考えはじめて、俺は情けない。
 男からもらったものは何なんだ。そこに何が書かれているんだ。夏美の心を揺さぶるものではないか。いや、それ以前に夏美は奴に心を戻しているんではないか。夏美がラジオの男に手紙を渡したはずだ。どうしてだ。夏美は、もう俺を見限ったのではないか。


「ギーロロ?…もしかして怒ってる?」
 俺の隣のブロックに座った夏美に、俺は気持ちの整理がつかない。返事が出来ずに、夏美の言葉を肯定することになる。

「やっぱ、先輩は憧れの人よね。ドキドキしちゃった。久しぶりだもん」
「おまえっ!」
 つい大声を張り上げた俺の顔は派手に歪んだと思う。眉間に刻まれたしわは、憤慨からではなく、悲しみだ。
 通じ合ったはずの心は、異種人の壁を超えたと思っていた。確かに一度は越えたが、それは昔の男にいとも簡単に戻されてしまったのか。

「ん?」
「い、いや…。そうか。そうなのか」
 懸命に日常の調子で答えた。底なしの沼に沈んでいくような絶望を感じていたが、夏美には怒りや不満の感情はない。心のどこかでこれでよかったと思っている。俺の侵略者としての立場の都合ではなく、夏美が正常な恋ができることに、せめてもの救いを見つけようとする。
 それはあくまでも俺の上辺だけだ。やはり絶望のほうが大きい。

「ほら!623さんの色紙もらちゃった!見る?」
「……いや…」
 これ以上惨めにさせないでくれ。テントに戻りたいが、足にも力が入らない。夏美の言葉が、機械的に俺の耳を通る。

「…ねー?やっぱ素敵ね。『赤いだるまが転んだら キミもいっしょに転べばいいじゃない 二人で転んで笑えばいいじゃない』だって!これ、あたしとギロロのことよね!」
「はぁ?」
 俺は地獄の底に咲き乱れる花をみたような、軽く意識喪失をしてしまう。俺は狂っているのかもしれない。上手く思考が働かない。

「623さんにね、報告したの。んと…その…、やっと、…その、アンタのことを」
 夏美は頬を赤く染め、視線を焚き火の燃え跡に移した。俺は要領悪く思うが侭、短い問いを繰り返した。
「お、俺を!?」
「うん、そう」
「だから、俺の何を?」
「……アンタわかってないの?」
「ああ、全然」

 夏美は俺の目の中に、慄きや不安の色を見つけたのかもしれない。困った風に笑って、また視線を焚き火に戻した。俺は夏美がよこした、あの男の色紙をぼんやり見る。
 この男のセンスにはとてもついていけないが、俺にとって攻撃すべき要素は何もない。

「『やっと本当の恋にめぐり合えました』って書いたの」
「…それが、お、俺なのか?」
「他に誰がいるのよ?」
 もはや呆れに近いため息をつく夏美。両掌に顎をのせ、またため息をひとつ。俺の反応が貧相なものだから、夏美は照れもせずぽんぽんと言葉を投げる。
「…後いろいろ。『先のことは不安だけど、今の気持ちはずっと変わらないと思います』とか…。変だったかなあ。前の恋の卒業みたいな感じ?あたしなりのけじめだったんだ。じゃ、これって卒業証書になるわね。つか、ギロロ。…その調子だったら、さっきのサブロー先輩のことも誤解してたんでしょ?」

「おわ!い、いや、それは…っ」
 認めよう。たった今まで俺は奈落の底に沈んでいたんだから。急浮上していく心を実感しながら、夏美の顔を確かめる。
「信用されてないんだねー。あたしって」
 俺を睨む目線には力はない。むしろ俺の反応を楽しむような、どこか嬉しそうにさえ見える。

「いっいやっ…、信用してます!します!」
 夏美は無言だ。
 素直に俺の気持ちを口にすれば、おまえは幻滅しないか。俺はただ怖かった。悲しかった。そして、目の前のおまえを失わずにすんだことに心から安堵している。少し皮肉の混じった夏美の笑顔を、俺はまっすぐに見つめ返した。

「…こんな男で、悪かったな」
「だからいいのよ」
 夏美の頬はほのかに赤く染まり、微笑を浮かべている。彼女の視線を捉えている俺の瞳は、俺の想いを伝えているだろうか。
 心から愛している。誰にも渡したくない。
 夏美に見合った男か、俺は微塵の自信も持ち合わせていないが、彼女を離すことなど出来そうもない。
 雄弁に愛の想いが溢れ流れる心とは裏腹に、その心を上手く言葉に代えられそうもない。おまえを見つめるだけしかできない。

「…あたしもおんなじだよ」
「……」
「卒業のお祝いしてくれないの?」
 夏美の瞳に、俺の色が映っている。その目も俺と同じように真剣に何かを訴えている気がした。吸い込まれるように、俺たちは見つめあい、やがて距離は縮まる。夏美の睫毛が静かに降りていく。
「卒業、おめでとう…。夏美」

 まだ日の落ちない夕暮れは、俺たちの秘密の時間には程遠い。だが、俺たちは誰かの目をもう気にしなかった。互いの気持ちを確かめ、温もりを伝え合った。
 さっきの男が日向家の地下へ連絡を入れたことに気付いたのは、その1時間後。一枚のCDをケロロから受け取ってからのことだった。



fin

2006/04/28





クルルがCDの量産化したのはお約束。
あ、一枚欲しいっ