kiss me please


 いつもより遅かった夕食の後片付けを終え、ギロロのテントに走ったあたし。昼間、ボケガエルが庭を掘り返してたのを忘れ、あたしは見事に転んでしまった。
 あたしのために用意してくれていた焼き立てのお芋を放り投げ、アイツが駆け寄ってきた。
「大丈夫か!夏美」
「ご、ごめん…。なんでもない。…っ痛」
「擦りむいたな。消毒しよう」
「これくらい平気よ!つか、ボケガエルの奴、片付けてって言ったのに!」
 醜態を隠すように取り繕いたいあたし。膝についた土をはらったら傷はなかった。あたしは膝を抱いて、焚き火の前に座った。ギロロは仕方がないなというふうな呆れたため息をついて、あたしの隣に戻って座った。

「気をつけろ。火があるんだぞ」
「わかってるわよ!」
 実際にあたしはギロロより年下なんだけど、子ども扱いされるのはなんとなく嫌だ。
 ギロロを意識し始めて半年、気持ちを通い合わせて2ヶ月。でもあたしとギロロの関係は何一つ変わってない気がする。
 またそれを再認識するようで、あたしは苛つく。そしてなおさら居心地が悪くなる。

「そこも擦りむいてるじゃないか」
 拒む隙もなく、ギロロはあたしの右手首をとった。指先に少し痛みを感じたけど、膝のそれよりも浅い。人差し指の先が切れて、少し血が滲んでいる。
「へ、平気だってば!」
「……」
 ギロロは神妙な顔をして、掴んだままのあたしの手を見下ろした。今日の夜には少し寒いくらいの七部袖から伸びた腕が、焚き火の炎に照らされて赤くなる。あたしの顔も赤いかもしれない。焚き火のせいではないと自分で分かっていたから、あたしは俯いた。

「え?!」
 右手に違和感を感じて確かめると、その原因がわかった。ギロロはあたしの指を口に咥えていた。一瞬のそれにあたしはパニックになり、ギロロの手から強引に逃れた。

「なっ何すんのよ!」
 胸に畳み込んだ手が震えている。止まりなさいと言い聞かせても、震えも動揺も簡単には収まってくれない。
「す、すまん!つい…」
 ギロロはすぐに謝った。あたしの反応にも、自分の行動にも驚いているみたいだ。と同時にそれを後悔したらしく、視線を外した横顔をしかめた。

「怖がらせたようだな。…すまん」
 焚き火がだいぶ小さくなってきた。新しい小枝をくべようとはしない。このままの自然消化を見守るつもりらしい。
 あたしは部屋に帰ることを促されている。

「べっ別に怖くなんか…」
「無理するな」
「違う!怖くなんかない!」
「夏美…?」
 むきになっている風にギロロの目には映るかもしれないけど、意地じゃない。本当に怖い気持ちはなかった。

「ただ、びっくりしただけ。…ケロン人の応急手当ってああするの?」
「バカ言え。あ、あれはだな、俺が…っ」
 ギロロらしく焦っているから、あたしも笑顔が戻ってきた。
 ねえ、自信過剰かな。ギロロはあたしだから、あんなことをしたのよね?聞いてみたいけど止めた。
 あたしの笑顔にぎこちなく頷き返すギロロを見てると、聞かなくてもわかる。

「ねえ、キスって知ってる?」
「キッ?!」
 あたしはギロロの目を見つめながら言った。深い意味は不思議になかったから、勢いとは恐ろしい。自分でも異常なほど明るく無邪気に聞いていた。

「うん、ケロン人はわかんないけど、人間の愛情表現なんだよ。挨拶の意味もあるけど、日本じゃ特別な人としかしないと思う」
「…だいだいケロン人も変わらない。おそらく宇宙の知的生命体のほとんどそうだろう」
「あ!そうなの?」
 キスの知識を淡々と説明したあたしを、ギロロは呆れてみている。あたしは急に自分が恥ずかしくなってきた。
「で、何が言いたかったんだ?」

「えーっと、さっきのあれ。あたしの指をギロロが…したのって。かなりヤバかった」
 あたしは笑った。明るく笑ったのに、裏側に隠した本当の気持ちを読まれていそうだ。ギロロが真剣にあたしを見ている。
「ヤバいって変な意味じゃなく…て、その…わかってしてるのならズルイよ」
 あたしは言い訳している気持ちになって、泣きなってきた。もう支離滅裂。
 そうよ。あたしはキスをせがんでいる。指先に感じた小さな温度ではなく、偶発的起きたハプニングでもなく、愛情という特別な意味を持つキスを求めている。

「卑怯なのはおまえだ。どうして俺を困らせるんだ」
 挑発的な言葉に反応するのは性分で、あたしははっとギロロを睨んだ。
「あたしのどこが…!」

 次の瞬間、あたしは望んだ通りの時間の中にいた。
 ギロロの腕があたしの首に回っている。もう一方の手は、あたしの顎を固定した。想像もできなかった温もりを感じた。他人の温度と質感は、心地よく残っていた違和感を消していく。あたしたちのくちびるはやがて同じ温度になる。

「…理性が吹き飛ぶ。困ったやつだよ」
「悪かったわね」
 故意に選んだ悪ぶった言葉も、甘く吐息に乗る。くちびるが軽く触れ合う距離で、ギロロはあたしの目を見て笑う。顎を撫でるギロロの指が切ない。心の底からあたしを狂わせる未知の感情が湧いてくる。

「これを越えると厄介だ。…歯止めが効きそうにない」
「ふうん?」
 ギロロは無意識のまま言うけど、言葉一つ一つにあたしの心は強く反応する。それを隠して必死に強がって、あたしはからかう調子で答える。ギロロは愉快そうに笑うばかりだ。
「どうやらおまえにはこの先がわかってないようだな」
「子ども扱いしないでよ!」
「本当にそうしなくていいのか?」
 ギロロの言葉の意味を、あたしは現実的に理解した。初めて交わしたキスのその先に、もっと深い愛し方があるんだ。
 あたしにはまだ想像できない。でもそんな遠くない将来、あたしは確実に望んでいると思う。だって、こんなに切ないなんて思わなかった。

「まあいい。しばらくはこれで満足できそうだ」
 真っ赤なあたしにギロロはキスをする。2回目のそれは初めてより長く、ほんの少し大胆になっている。ギロロにいつもらしい控えめな態度は全然ない。当たり前ね。普段はおくびに出さないあたしの本音を、ギロロは知ったんだから。

「おまえの膝の上ってのが、格好つかないけど」
「ふふふ」
 せめてこれだけは残しておいて。後のイニシアティブ全部をアンタは持っているのよ。あたしたちが笑いあったのはそれが最後。
 焚き火が完全に消えて、あたしたちがひとつになった影が闇と同化しても、甘いくちづけは続いていた。



fin

2006/06/20




 女心は〜複雑なの〜♪(即興で