てのひらに夢
5

from G side


「おまえと夏美のことだ。確かに俺は関係ないかもしれないが……」
 拳を固めて、精一杯冷静を努める。俺はこんな小さい身体のなりだが、年はこの男より随分上だ。年齢差の余裕ではなく、単なる意地かもしれないが、言葉を乱したくはなかった。

「先のことはわからないさ。今の気持ちが大事でしょ」
「だが…」
 夏美を失う俺の気持ちを考えてくれ。
 数年の想いを非情な手段で断ち切るのだ。ケロン星に帰るということで。
 街ですれ違うことも、偶然どこかで会うこともない、完全に世界を違えることで、俺は夏美をあきらめるのだ。それくらいの約束をしてくれてもいいだろう。本当ならば聞きたくない、『夏美を幸せにする』という台詞を。

「重いよ伍長さん。今は楽しんで恋愛する時代だよ」
「ダメだ!ちゃんと約束してくれ!」
 サブローはこんな軟派な男だったか。俺は失望した。
 俺の願いをつれなく避ける。俺の真剣さを知ってて嘲る。癪に障るが、今の俺のプライドはこの男に会いに来た時点ですでにもうなく、引導を願い乞うている。

「……約束したら?」
「男の約束だ。信じるさ。もうペコポンには来ない。夏美の人生に俺が現れることは二度とない」
 ああ、夏美に会うことは二度とないだろう。
 だが、この想いは消えることはないだろう。他の誰かを愛することもあるまい。心に秘めたまま、俺は孤独と向き合って生きていくだろう。
 この男に夏美を託す今より、未来は苦しいのかもしれない。耐え抜く自信はない。だが道はこの他にはない。
 俺が彼女を愛してしまったその時から、決まっていた道なのだ。俺は後悔はしないさ。どんなに苦しくても辛くても、夏美を愛したことを。

「彼女には何も言わないのかい?」
 約束を渋るこの男の気持ちがまるでわからない。さっさと俺を追い払えるものを。

「言ったところで何になる。夏美の気持ちはおまえにあるんだ」
「ふん、なにが軍人なんだよ!ただの意気地なしじゃないか」
「何!?」

 サブローの語気に乗せられ、俺も荒げる声を抑えきれない。
 俺を睨む視線に敵意を感じる。夏美に対する想いが本物だということだ。それで何故、俺を挑発するのだ。

「怖いのかい?夏美ちゃんに『蛙は無理だから』『アンタ、自分の分際分かってんの?』って言われるのが。聞きたくないから、言えないのかい?それで一生彼女を遠くの星で愛しつづける?ただの悲劇のヒロインじゃない。それでも軍人?」
「黙れ!!」
「それでも男かよっ!」

「…………」
 その通りだ。俺は無言でこの男の言い分を肯定した。
 俺は意気地なしだ。弱虫だ。

 どんな過酷な戦場でも憶すことはない。なにより戦士のプライドを守ってきた俺の土俵だ。誰にも負けない気概があるのは当然だ。
 だが、それらの戦歴は、夏美を前では輝きを失う。全く価値のないものだと知った。
 彼女の微笑みは、俺の価値観の天秤の片方に乗り、その釣合いを保つために俺はどんな労力を厭わなくなっていた。

 俺は歯軋りをした。固く握った拳が震えるのを、情けなく見下ろした。
 夢も希望も自ら砕こうとしているのか。
 いや、違う。俺の夢は叶う。彼女は幸せになるのだ。

 そうだ。彼女が笑えばいい。幸せならいい。それだけでいい。
 それさえ高望みになってしまう明日だが、彼女が得られる幸福と引き換えにする価値がある。


「夏美が幸せならそれでいい」
「……黙って身を引くと?」

「ああ。笑いたければ笑え。情けない男で構わない」

 夏美にも少しは俺に対する友情があるのなら、それを壊したくはない。
 彼女の中で、俺は頑固で何の面白みもないソルジャーのままでいい。愛されていたと知って、嫌悪を抱かれるよりは、永遠に会うことのない友人同士でいいんだ。

「夏美を泣かせるな。最初で最後の願いだ」
 俺は剥き出しの鉄筋にうなだれ、頭を下げた。

「彼女を泣かせるのは俺じゃないよ」

 サブローがそう言った。
 次の瞬間、脳が揺さぶられた。鉄柵越しの階下に、俺を見上げる夏美を見つけたからだ。






continue

2007/02/15

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