てのひらに夢
8

from N side


 鈍感もここまでくれば異常だよ。
 途中でさすがに強気になったら、この台詞。
 卑怯だわ。天然を装って、あたしをからかっている?

 初めて聞いた。『好き』って言葉。
 自分でも驚くほど胸が苦しい。こんなに嬉しいなんて、あたしは思ってもなかった。それだけあたしはギロロが好きなんだと、また新たに実感した。
 あたしもそうよ。その二文字に収まりきらないほどの気持ちを伝えたい。

 だけどごめんね。こんな可愛げのない女で。
 挑発を繰り返して、やっと言葉にできたと思ったら、
「毎日、聞かせてくれなきゃ思い出さない」だって。

 待って、待って。ちゃんと言うから。鈍感のままでいないで。ちゃんと気持ちをわかって。
 驚いたままで表情が固まっているギロロに、あたしは覚悟をする。

「毎日じゃなくていい。たまには言って。あたしも言うから」
「……待て、よくわからない」

 もう!あたしの中の乙女の性格は、限りなく小さいの。可愛くなんか上手く言えない。
 でもこの鈍感男にちゃんと伝わらなきゃ、あたしの苦労も意味がない。

「好きよ」
「え?ああ!……好きにも色々あるからな」
「バカ!じゃ、こういえばわかる?愛してるのよ!あんたがあたしを想うよりずっとね!」
「バカ?…え?愛…ッ!?」
「ふんっ!これでも帰っちゃう?」

 あれ?これって愛の告白だよね?
 喧嘩腰になっちゃったけど、見事なほど伝わったらしい。ギロロが湯気を立てている。今にも倒れてしまいそうなほどに。

「……ねえ、帰らないよね?」
 真剣な顔をしていたと思う。ギロロがあたしの顔をみてはっとした面持ちに変わったほど。
 強気のあたしが本当のあたしじゃないわ。むしろ本当の気持ちを隠すための手段にすぎない。
 真面目に怯えている。ギロロが消えないか。あたしのそばにずっといてくれるか。
 本気で恋しているのよ。

「お、俺でもいいのか?」
「あたしでいいの?」
 ギロロは俺の質問だと言わんばかりに、目尻を吊り上げた。
「答えを聞いてないのはあたしのほうよ」

「かっ帰るわけないだろ!」
「よかった」
 心から安堵できた。ギロロは自分の一言であたしの不安を解消したとこに、意外そうな顔をした。
「夏美……」

 あたしは涙を隠すために俯いた。
 今日の涙腺は一体どうなってるのかしら。名前を呼ばれただけで、泣けてくる。
「……夏美?」

「怖かった。あたしがちゃんと自分の気持ちを言えなくて、このまま会えなくなるんじゃないかって」
「夏美……!」
 あたしは膝を抱えて泣き出してしまった。涙は自分の感情を表現する方法じゃないのに、止まらなかった。

「ごめ……。もう少し泣かせて」
 しばらく時間が欲しいと、宙で手を振った。ギロロはあたしのその手をとって、隣に座った。
「冷えてるな。俺の手で暖めてやれないかもしれないが」

「ううん、暖かい」
 それは本当だった。
 暖かいとはいえないギロロの手だったが、あたしは温度ではない幸せに満たされる。ギロロもそう感じてくれたら、本当に嬉しい。

「……そうか」
 ギロロはそう言って、あたしにしばらく時間をくれた。


「クルルに感謝すべきか」
 言葉通りの意味ではない嘲笑が含まれていた。
「……一応ね」
 顔をあげて、随分暗くなった空から降りてくる冷たい風に吹かれた。
 ギロロもあたしも遠く眼下の街並みを見ている。

「あたしたち以外のみんながわかっていたのね。冬樹とか例外はいるけど」
「……俺はわかりやすかったらしいな」
 ギロロは鼻で笑った。
「あたしもそうだったみたいよ」
「おっ俺は全然気付かなかった。おまえが……まさか俺を」

「今でも信じられない?」
 手の温もりは現実を教えてくれているじゃない。隣にいる人が、自分の心を占領している愛しい存在であることに。そして、同じ気持ちを通わせたこと。
「『好き』って何度言ってもわからない?」

「……正直、実感がわかない」
 ギロロの低音はまるであたしを誘惑しているよう。なんの術のない不器用なギロロなのに、あたしは操られているような錯覚を感じる。見詰め合うまま、距離が縮まる。
 あたしは傷のある頬にくちびるをあてた。

 ギロロは肩を震わせた。至近距離であたしの表情を確かめる。彼の瞳にあたしが映っている。
「わかる?」
「ああ……」

 あたしたちははじめてキスを交わした。





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2007/03/06

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