嵐の夜に
1 ![]() 嵐が来そうだな。 漆黒の夜空に瞬く星影はない。時折、思い出したように吹く強風が、どこかの木々の葉や小枝を運んでくる。俺のテントは派手に揺すられるが、そんなにやわではない。 この星でいう季節の変わり目。ここ日向家のある日本は春に向かっている。 突然、寝静まったはず日向家に明かりが灯った。俺のテントの脇の部屋からカーテン越しに光が漏れた。俺はしばしその部屋の様子を見る。おおかた深夜の帰宅になったこの家の主、日向秋の帰宅だろう。愛用のバイクの音が風に掻き消されて、この俺も気付かなかったのかもしれない。 静かに窓が開いて、俺は予想もしないその相手に反応もできなかった。 「ギロロ…」 夏美だった。 絶えず吹く風に下ろしている髪が派手に舞う。凶暴に冷えた風に身をすくませながら、夏美は暗闇に俺を探していた。 「ど、どうしたんだ!なっ夏美!こんな時間に、しかも外は嵐だぞ」 責める口調でつい怒鳴り声を張り上げる。外の芝生に落ちるリビングの照明の中に俺は立って、夏美を見上げる。俺に気付いた夏美は少しだけ微笑んで、すぐに面白くなさそうな顔に戻った。 「なによ!ていうか、アンタ飛ばされたのかと思ってたわ!」 額面通りに夏美の嫌味を受け止めたいが、本当は根の優しい夏美のこと、それは心配の裏返しなのかもしれない。俺は少し居心地が悪いような照れを感じる。 「これくらいどうってことはない。俺は戦場の…」 「こんな日くらいはボケガエルの部屋に行ったってバチあたんないでしょ!バカ大きい地下基地だってあるじゃない!」 両手を腰に当てて、俺を見下ろす夏美。確かに正論だが、俺のプライドが許さない。 その背中でいきなり突風が吹いた。 「ぐわー!!」 テントが風に煽られて、天高く舞い上がっている。必要最小限の私物も方々に散っていく。 「大変!」夏美が慌てて外に出ようとする。 「大丈夫だ」 夏美の見守る中、俺の荷物を亜空間内に瞬間移動させる。 「さすが宇宙人」 夏美は呆れたようなため息をついた。そこで俺ははたとして気付く。 「で、今夜はどうするの?あきらめもついたでしょう?」 と、夏美は勝ち誇ったように笑って、俺を見下げる。なんとも意地悪そうに見えて、いやそれも俺に野宿をあきらめさせる魂胆が見え見えで、俺は立場がない。 「し、仕方ないな」 俺は観念せざるおえない。夏美が開けた窓の隙間を登る。 「すっかり目が冴えちゃったわ。ミルクでも温めようか」 「え!?」 「思ったより外、寒かったし、ギロロってばすごく冷たかったし。何よ?」 ケロロの部屋に直行するつもりの俺を、夏美が引きとめる。いつの間に俺の身体に触れたのか、俺をそんなに心配してくれるのか。いや特別な理由は何もないんだ。瞬時に沸点に到達してしまうこの性格が恨めしい。咳払い一つして、台所のテーブルに座る。 鍋をかけたガスの音が、静かな部屋に響く。外は相変わらずの嵐だったが、俺には大きく聞こえてくる。夏美は二つカップを用意した。普段ケロロが使っている大き目のマグだ。 「はい、熱いわよ」 「あ、ああ。悪いな」 夏美は俺の向かいの椅子に座って、くすっと笑った。 「なにがおかしいんだ?」 「ううん、ごめん。お礼の言葉が『悪いな』ってギロロらしいなって思って」 「悪いな」 「ギロロってば!」夏美は俺の失言にまた笑う。 夏美が話すと、熱いミルクの湯気が揺れる。向かいに座る俺に空気が流れる。俺はそれだけでも落ち着かない。嵐の夜、誰もが寝静まった時間に、二人きり。こんな偶然に俺は正直戸惑っている。 「暖まるな」 寒さを辛いとは思わない。どんな環境でも耐えられる自負がある。俺は戦士だから。だが、この安心感はなんだろう。暖かいミルクは緊張感を緩ませ、外界から守られた屋根の下はつかの間の安全を保障する。 なにより同じ空間で同じ時間を過ごす、目の前の相手の存在は大きい。 「ふふ、よかった」 髪を下ろしているせいか夏美はいつもと様子が違って見える。ここにきて少し落ちついた俺は、そう見えた。なんだか素直で、優しい。いや、優しさは変わらないのか。その優しさを隠す盾がないとでも言うべきか。 「もう、寝たほうがいい」 壁の掛け時計を見ると、午前2時を回っている。俺は椅子を降りて、夏美を見送ろう。 夢の時間はもう終わりだ。俺は惜しくはないさ。俺は、自分で課せた役目も置かれた立場もわきまえている。おまえを守るが、おまえを愛してはいけない。もうこれ以上は。 「…ねえ、ギロロ…」 俺の名を呼ぶ夏身の声は異常なほど弱い。俺はどこか恐れる思いで振り返った。が、そこで事態は大きく変わった。稲妻が走ったと同時に、突然の闇に覆われたのだ。 「キャ!!なに!?どうしたの!?」 金切り声になり夏美の声は、雷鳴で家中に響かない。 「ただの停電だ!大丈夫か?夏美!」 「怖い!」 夏美に抱きしめられる格好になって、俺はパニックに近い。が、夏美が俺を意識しないままの行動だと思うと、少し胸が痛い。不用意に俺に触れるのはやめてほしい。確かに素直に嬉しいと思う俺もいるが、それに反目する感情もあるのだ。 「大丈夫だ。少し落ち着くんだ。夏美」 「真っ暗とか怖いの!怖いの…」 俺が知っている夏美は、少なくとも停電ごときにパニックになるような女ではない。でもそれは俺や周りが勝手に作り上げた夏美のイメージかもしれない。今俺の腕を抱え震えている夏美は、まるで幼いこどものようだ。これも、本当の夏美の姿なのかもしれない。 「…少しは落ち着いたか?」 とうとう本格的な嵐になり、何度か雷が鳴った。そのたび震えていたが、いくぶんか冷静を取り戻し俺の隣に座るだけになった。 「うん…。ごめん」 「い、いや」 一晩、この天候は変わらないかもしれないとか、冬樹はこの中でも熟睡してるとか、他愛のないことを静かに話した。 「夜が苦手なの。…世界中で一人きりみたいに感じちゃう」 闇に慣れた俺は、夏美が自嘲を吐き出す横顔がはっきり見えた。 幼いころ、夏美は孤独を抱えていたのかもしれない。彼女の家は母子家庭だ。容易に孤独と向き合っていた彼女を想像できる。子どもは闇を嫌う。避けることが出来なかった闇に、夏美は耐えてきたのだろう。そしていつの間にか自分を飾る盾で、その身を守ることを覚えたのだろう。 「今は俺がいる」 言い終わって、俺はその言葉の響きに驚いた。夏美の視線を感じ、大袈裟に顔を背けた。少しの沈黙が怖かった。 「ありがとう…。ギロロ」 夏美はくすっと笑った。俺は思わず夏美の顔を覗いて、表情を確かめた。数秒だったに違いなのだが、俺には長い時間のように感じられた。 「さ、部屋に戻れ」 遠くに響くまだ重そうな雷鳴はやみそうもないが、ここで夜を明かすわけにはいかない。 「うん…」 「布団に入ればまた眠れるさ」 「うん…」 生返事をして、夏美は立ち上がり歩き出した。心細い足取りが俺の耳に響いてくるから、俺は夏美の後姿から目が離せない。 夏美が立ち止まったから、つい俺は「部屋まで着いていこう」と言ってしまった。夏美は素直に頷いた。 |