ギリギリ
2


 色に喩えるなら、この鍋の色なんだろう。俺とおまえは。
 どちらもパートナーとして選び選ばれたわけではないのに、いつのまにか俺たちは互いの隣にいるようになった。共通した色、赤に惹かれあうように。
 今は、笑顔と汗を見合わせて、同じ色の鍋をつつく。


「か、辛いね」
「あ、ああ…」
「ちょっと入れ過ぎちゃったかな」
「何を?」
「なっ何って…唐辛子よ!……他に何があるのよ」
 鍋越しに見る夏美は、頬を膨らませ機嫌の悪さを表現する。俺は別の意味でおおいに困った。
 彼女が愛しくてたまらない。
 想いを通わせたとはいっても、俺の錯覚ではないかといつも思っていた。一年前の一世一代の大告白も、『おまえが好きだ』『実はあたしも』だけで、その後は何もない。つまり、何の変わり映えのない俺たちだった。
 平穏な表向きの関係を維持していたが、心中はいつも穏やかではなかった。彼女の心変わりを確かめるのが怖かったのだ。
 そして、今。もっと心が揺れ動いている。確かめたい。彼女が俺のものだということを。

 夏美が無言で俺の皿に肉を盛った。夏美を見上げると、ばつが悪いように彼女は笑顔を作った。
「あんまりあたしを太らせないで」
 だから俺に肉を食えと、自嘲した理由は彼女の優しさだ。俺は遠慮などしていないが、彼女にはそう見えたのかもしれない。
「俺はいいから、ちゃんと食え。最近痩せたぞ、夏美」
 夏美は一瞬、表情を強張らせて俺を見た。俺に気付かれていたことに驚いたようだ。
「…気付いた?」
「ダイエットとやらをする必要ないと思うが」
「ふっふんだ!乙女の事情なんて、アンタにはわかんないよーだ!」
 いつもの彼女らしい自然な口調で、その場の空気は和んだが、結構手厳しいことを言われたと俺は感じた。ダイエットをする夏美の事情は、俺には関係ないのだ。もしかしたら、他にいい男が出来たせいなのか。
 ショックを隠すことなど造作でもない。俺は慣れているんだ。情けないことにな。

 明るい雰囲気で食事は終わり、夏美は後片付けをしている。俺はいよいよすることもなく、初冬の冷たい風が待つテントに帰ろうとした。
「な、夏美。夕飯、美味かった。…その、……ありがとう。ちゃんと戸締りして寝ろよ」

「ギロロ……」
 背中で彼女が俺の名を呼ぶのを聞いた。目を見つめられて聞いたなら、俺は失神したかもしれない。弱々しく儚げで、それでいて色っぽい声だった。まるで俺を引き止めるように、俺を誘うように。そんな風に聞こえるのは、またしても俺の妄想にちがいないのに。

「デ、デザートもあるんだよ!帰りにコンビニでプリン買ってきちゃったし」
「夏美…」
「だって、その、新発売でとっても美味しそうで、あ、前にギロロが美味しいって言ってたチョコも安かったから買ってきたし、それに…」

 俺を引き止めているのか?夏美の焦って言葉をまくし立てる様子を見ていると、鈍い俺でもわかる。
 だが、今の俺は好意的にそれを受け止められない。俺が考える夏美が俺を引きとめる理由は、ネガティブなものしかないからだ。今日こそは俺に打ち明けたいのではないか。例えば、他に好きな男が出来たことを。例えば、俺には興味がなくなったことを。

「肩揉み」
「ああ、わかっている肩揉みか…。え!?か、肩揉み?」
 俺は夏美がある男の名前を言ったと思った。数年前、彼女が好意を寄せていた男のそれ。決して肩揉みという名ではない。
「肩揉みって…肩を揉むのか?」
「他に何があるの!……友達に指圧の上手な人がいてね、教えてもらったのよ。試させてよ」
 夏美は愉快に笑って、エプロンを解いた。俺の横に立って、ソファに座るのを促しているようだ。

「く、首筋を頼む」
 と、座るほかの選択肢はなかった。俺を引き止める理由は、肩揉みの後ろに隠れたが、見えないだけで消えたわけではない。
 夏美が俺の隣に座り、俺の肩に手を置く。その緊張で、俺は何秒後かに味わう絶望を忘れそうだった。

「…ギロロ、なんか力入ってない?もっと力抜いて」
「す、すまん」
 俺は力を入れ直してしまった。夏美がまた笑う。
 俺は辛かった。夏美の笑顔に癒される自分と、彼女の真意を知ることが出来ない苦悩。今は後者のほうが強い。

「やっぱ緊張するわよね。こんなシチュエーション」
 彼女の手は優しく柔らかい。

「お、俺でもか?」
 独りごちたつもりだった。だが夏美は聞こえたようだ。
「ギロロだからでしょ!」

 俺は言葉足らずで、おまえは迂回した表現をする。似て非なる俺たちの不器用な性格だ。
 今の言葉は、そのままの意味で受けとってもいいのか?

 おまえは肩揉みの相手が俺だから緊張する。異性だと認識しているからこそなのか?告白をしたあのときと気持ちは変わっていないのか?


「次はね、耳掻きよ。コンビニでプリン買うとき、よさげな綿棒見つけちゃったのよね」
 夏美は座ったままテーブルの上の袋から、綿棒というものを取り出した。鼻歌でも歌いだしそうな夏美を、俺は恐る恐る見上げた。俺は聞きたい。今の俺たちの関係を。

「ほら!横になって!」
 夏美は自分の膝を叩いて、俺を招いている。

 ちょっと待て。
 心の準備が出来ない。本心では望んでいた膝枕に、安易にのせることはできない。おまえがその場所に俺を誘うことの意味を知らなければ、俺は辿り着けない。
 そしてその意味に満足できなかったら、俺はあきらめるほうを選ばなければいけない。俺は聞いた。

「…俺はおまえのなんだ?」

 俺にここまでする理由を教えてくれ。ただの友愛の情と言わないでくれ。

 俺を好きだと言ってくれ。




continue

2006/11/20

novelに戻ります