ギリギリ
6


「…平和そうに寝ちゃってさ」
 はじめは、夢の中でささやかれているのかと思った。
 違う。俺はいつのまにか寝ていたのだ。すぐ隣に夏美が座っている。俺の身体には毛布が掛けられている。心地よい暖かさとまどろみに、俺はまだ身体を動かせない。
 おのずと夏美の独白を聞くことになる。

「ごめんね。こんな女で。素直じゃないし、がさつで乱暴で…。一体あたしのどこがいいのよ」
 かすれ声の弱い声。泣いているのかと一瞬迷う。
 おまえの全部がいいんだよ、と俺は心で答える。
 寝たふりは卑怯だと思うが、俺が寝ているからこそ吐き出せる夏美の心の内をもっと聞きたいと願う。

「バカギロロ。今夜がチャンスだっていうのにね」
 俺の心臓の音が夏美に届くかと思った。それほど俺は、夏美の言葉とそれに反応した自分に驚いた。落ち着かないままの俺に夏美は続ける。

「夢の中と同じに『惚れすぎるな』って言う?…でも、もう手遅れなんだからね」
 毛布の上から俺の背中を撫でる感触がした。
「もっと口説いてよ」

 しばらく沈黙が続いて、夏美は俺の隣から離れた。台所に向かい、やかんに水をくべる音がした。
 起きるなら今が好機だ。
 わざとらしく伸びをして、けだるそうに起きた。眼底が熱い。俺は泣いているのかもしれない。腕で目を擦った。それを夏美は寝起きの様だと思ったようだ。

「おはよう。ギロロ」
 少し嫌味な口調の夏美。
「どのくらい寝てたのか、俺は」
 5分ほど前には起きてたことは、なにがあっても秘密だ。
「1時間ほどかな?寒くなかった?今熱いココア入れるから待ってて」

 髪を肩に下ろし、寝巻きに上着の彼女。いつも見慣れているそれなのに、今夜の彼女に視線を向けづらい。よく考えるとありえないシーンだ。

「寒くないならさ、星、観にいかない?」
「寝冷えするぞ。止めとけ」
「ちょっとだから」
「夢の再現なんてもうやめよう。夏美。俺は十分幸せだ」
 そうさ、いくらあの夢が俺の願いだったとしても、想いを通わせられずにいたその頃からみると、今の俺の状況がどんなに奇跡的なことなのか。俺は身震いさえする。星を観なくとも、風呂に入らずとも、おまえがそばにいる。果報者だよ俺は。

「行くの!」
「駄目だ」
 押し問答はしばらく続いたが、最後は夏美に押し切られた。
「じゃ、ココア持って、あたしの部屋からね」
 と、夏美は勝ち誇ったように威張る。まだおまえは勝負しているのかと、俺はまた少しため息。それでも、思わずというか彼女の計算なのか、夏美の部屋に移動することになった。


 部屋の明かりは、夜空を見上げるのには邪魔だ。カップを持ってベランダに出る。
 初冬の空気は冷えていたが、風はほとんどない。遠く上空に星空が広がっていた。
「きれいね…」
「ああ。……5分ほどだけだぞ」
「もうっわかったってば!」
 ココアのカップで暖をとり、夜空を見上げる。吐いた息が白く上へ上っていく。俺はベランダの手すりに立って、彼女と同じように星を追う。視線の高さがなく、夏美との距離が近いことを急に意識した。

「ケロン星、見えないよね…」
「ああ、さすがにな」
「…寂しくない?」
「別に」
「ふーん」

 夏美はベランダの手すりに両腕を畳んで置き、その上に顎を乗せた。頭を俺と反対側に傾かせて、おのずと俺たちは向き合う格好になった。

「ギーロロ」
「なんだ、夏美」
「なんでもなーい」
 それが3回続いた後、夏美は視線だけ空に戻した。

「宇宙って大きくて不安になっちゃいそう…。ギロロはこの向こうから地球にきたのよね」
「もう寒いぞ。部屋に戻ろう」
 宇宙の美しさや神秘を感じると同時に、俺たちは別の感情も湧いてくる。当然だろう。俺たちは違う星に生まれたからだ。
 不安も感じるだろう。怖くもなるかもしれない。だが、奇跡的な今の状況に、俺は感謝の気持ちも湧く。

「今度連れてって…」
「俺の星にか?宇宙にか?」
 夏美は答えなかった。はるか遠くの星を眺めたままだ。
 手すりに立っている俺の目線より少し下になった、夏美の髪を一筋すくった。肩に撫でて流し、頬に手を添えた。俺は自分が何をしたいかよくわかっていた。心のままに従って、彼女のくちびるをふさいだ。






continue

2006/12/07

novelに戻ります