ギリギリ
8 ![]() 「ありがとう……」 穢れのない満面の笑みを浮かべる夏美。俺が本心など知る由もないから、そうやって微笑むのだ。欲のまま暴走したら、おまえは俺を軽蔑する間もなく、怖れ慄くのに違いないのに。 「そばにいてくれるだけでいい」 「ああ、ここにいるから、とにかくベッドに入れ」 「うん…」 部屋の真中に小さいスタンドを用意して、部屋の電気を落とした。夜の色と静けさに囲まれて、瞼が重くなる空気になった。だが、今夜の俺は一睡もしないだろう。 ベッドにもぐった夏美が俺を見ている。故意に距離をとっている俺と視線が合うと、安心に満ちた微笑を返した。おまえが思うほど安心とは思えないが。 「ボケガエルたちにはばれてないのかな。あたしたちのこと」 「いや全然だろ」 「そうだね」 今まで無用だったその心配は、これからはどうなるかわからないが。 ばれたら厄介だが、俺はむしろそれを望んでいる気もする。それもおかしな話だな。 「ね……、寒くない?」 「ああ、大丈夫だ。コイツは貸してもらうけどな」 夏美の使ってない毛布をもらっている。暖房を切って冷えてくるはずの部屋だが、寒さはしのげる。 「もう少しこっち来て」 「…やめておこう。十分おまえの声が聞こえる。俺は地獄耳だからな」 誘いに乗らない俺を軽く睨んだ夏美。 「少しは警戒しろ」 男扱いをされてないから、簡単にそんなことを言うのだろうか。恨めしいのはこっちも同じだ。ただでさえ今も理性を保とうと必死なのに。 「ギロロなら、怖くないもん」 「さあな」 どんな俺を想像してその台詞を吐いたのか、俺は複雑だ。無反応を装い、違う話題を探している。そんな時、部屋のどこかで音楽が鳴った。どうやらそれは夏美の携帯電話の呼び出し音だった。ベッドから抜け出て、荷物の中から音源を探し当て、相手を確かめる。 「ママかな。…あ、違う」 声のトーンが下がった。どうやら電話の相手は、夏美の苦手とする人物らしい。 「出なくていいのか」 「こんな時間だもん。もう寝てることにするわ」 「男か?」 夏美は友愛の関係を苦手とすることはない。そうすると男か。それも知らない関係ではないはずだ。俺は途端に焦り始める。 「ん…。クラスの子。たまにこんな時間に電話するのよね。いつも出ないけどね。すぐにメールが来るけど、最初からそうすればいいのにね。それも微妙なんだけど。…あ、ほらメールだ」 俺の隣に座って、夏美は電話を畳んだ。俺はその電話の相手と、メールの中身が気になる。 「ど、どんなメールなんだ?」 「えー、いいよ。どうせくだらないことだよ」 「もしかしたら大事な用件かもしれんぞ」 俺は軽く自制が効かなくなっていた。 二人きりの今までは余裕を見せるほどの大人でいられたが、男の存在で俺の立場が崩れた。その男は夏美にとってどんな小さい存在であっても、異種星人である俺には多大なライバルなのだ。彼女と同じ地球の人間というだけで、俺は大きな差を付けられたような気がする。 「…わかったわよ。えーっと…、『夏美ちゃん、もう寝てる?明日は返事聞かせてね』だって」 画面を覗くと、語尾にハートマークが並んでいる。一瞬、寒気がした。 「寒いわね」 夏美は今度こそ用なしとばかり、携帯電話を折りたたみ鞄の上に放る。 「…な、なんの返事なんだ」 「心配してくれてんの?ギロロ。…大丈夫。ギロロが心配になることなんて何もないよ」 俺の隣で夏美は膝を抱えて、どこか嬉しそうだ。甘い台詞を言われたように、幸せそうに見える。俺のやきもちは隠しとおせなかったらしい。夏美は俺を見抜いて、穏やかなため息をついた。 「自信あるんでしょ?」 「ああ…」 やはりその男は、夏美に想いを寄せる男なのか。ライバルの登場のショックは拭いきれない。 「こう見えてもね。あたし結構もてるのよ」 「…夏美っ…!?まさか、他にも…!」 冷静ではいられなかった。俺は立ち上がっていた。視線の高さは夏美と変わらない。 「だってこれからだってそんな心配するかもしれないじゃない?だから今言っておくね。もうそんな心配しないでいいよ」 夏美は幸せな微笑みのままだった。俺にくちづけを落として。 「…切ないよ。ギロロ」 俺の胸に顔をうずめ、夏美はそう呟いた。彼女の謎解きのような言葉の意味を理解できないまま、俺は彼女の髪を撫でる。 「あたし、幸せなのに。もっと近づきたくて、切なくなるの」 「夏美…」 腕に抱く彼女の顔は見えない。甘い言葉を囁くその表情は確かめられないが、俺の背中に回された彼女の腕は小さく震えていて、彼女の気持ちが伝わる気がする。 「こんな気持ち誰にも感じたことない…」 「俺もだ」 俺はただ切なく、ただ愛しさを感じていた。 「おまえは俺のものだ…」 夏美がしっかりと頷き、俺はそれが事実だと知ることが出来た。 |